2009年7月31日金曜日

NHK特報首都圏:「バス移動 潜むリスク」

特報首都圏 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]"特報首都圏「バス移動 潜むリスク」
運動部の合宿や子ども会の旅行などバス移動の際に、経費の問題からプロの運転手ではなく、指導者や父兄が運転する例が少なくない。そこに潜むリスクについて考える。運動部の合宿や子ども会の旅行など、バス移動の際、業者を雇うと3〜4倍の経費増となり、指導者や保護者が運転する例が少なくない。大型バスは、有償で旅客を輸送する場合、バス専門の教習が行われる大型二種免許が必要。ところが無償の場合は、大型一種免許で運転可能なため、教習はトラックで行われ、バスの特性を学ぶことはない。プロの運転手以外で行うバス移動。そこに潜むリスクとどう向き合えばいいのか探る。"
ゲストの「専門家」は今の運転免許システムの根本的見直しが必要と規制強化を主張。またNHKは、教職員の待遇が悪すぎる、もっと改善するべきだとの教育市場システムが問題との指摘。でも、これは大型一種免許の教習にトラックしか使わないことが原因ではないのか? 教習所が保有する教習用大型車の半分をバスに置き換えるだけで対応可能だ。どうしてNHKはいつも「規制強化」ばかりをキャンペーンするのだろうか?

そもそも、運動部の試合のための生徒の移動などでは公共交通機関を利用すればいい。それが高いというなら、なぜ公共交通機関の料金はなぜこれほど高いのかを問題にするべきだ(赤字路線で生活している既得権集団がボリ過ぎているためではないのか)。野球の試合のため移動経費まで学校で面倒見ることもおかしい。学校は校内での「読み書き算数体育」が守備範囲。それ以外の費用は保護者が負担するべきものだろう。「絶対安全」を最優先するなら、その分の費用は払うべきだ。

7/31 Today アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが死ぬ(1944)

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ - Wikipedia: "アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(仏: Antoine de Saint-Exupéry, 1900年6月29日 - 1944年7月31日)は、フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。読者からは、サンテックスの愛称で親しまれる。

1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル・シャンベリー・アヌシーを写真偵察のため、単座双発双胴のロッキード F-5B(戦闘機 P-38 ライトニングの偵察機型) を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃、消息を絶った。最終階級は少佐。"


このルモンド紙の記事〔拙訳付)はちょっと感動的。古いものだがおすすめ:

Le Monde : 『星の王子さま』と芸術の女神……「薔薇」とは誰のことか、56年経ってやっと判明した!: "1944年7月31日、サン=テックの飛行機は地中海 に沈み彼は死んだ。地中海から引き上げられたサン=テックのブレスレットには二人の名前が刻まれていた。引き揚げるまでに56年の歳月を要した。やはり出 版社がコンスエロの回想録を出版するまでに56年の歳月を要した。そのコンスエロの回想録は、もちろん『薔薇の思い出』という題が付けられている。"

2009年7月30日木曜日

7/30 Today 幸田露伴が死ぬ(1947)

幸田露伴 - Wikipedia: "幸田 露伴(こうだ ろはん、慶応3年7月23日(1867年8月22日) - 昭和22年(1947年)7月30日)は、日本の小説家。慶応3年(1867年)7月23日、江戸下谷三枚橋横町(現・東京都台東区)に、四男として生を受ける。父は幕臣の幸田利三(成延)で、母は猷。幸田家は江戸時代、大名の取次を職とする表御坊主衆であった。

『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。

昭和12年(1937年)4月28日には第1回文化勲章を授与され、帝国芸術院会員となる。昭和22年(1947年)7月30日、戦後移り住んだ千葉県市川市において、81歳で没。墓所は池上本門寺。戒名は、露伴居士。

娘文は、露伴の生前から父に関する随筆を書き注目を集め、没後に小説も書き始め作家となった 。一人娘青木玉も随筆家、またその子青木奈緒はドイツ文学畑のエッセイストである。"


葬儀の日、東京の家を失い、露伴と同じ市川に逃れていた永井荷風は、葬儀にふさわしい礼服を持っていなかったからといって、式場から離れた路上で露伴に最後の敬意を表した。露伴の文章はそれほどすごかった。

でも、娘たちが書く父親露伴の実際の姿は少し違った。家の掃除の方法(はたきのかけ方など)に異常なまでにうるさかったという。これは露伴が江戸幕府の茶坊主の息子として生まれたことから来ているDNA的な本能だったのだろう。茶坊主にとって大切なのは本質ではなく、あくまでもプロセデュアーだったのである。

江戸時代のサムライ社会は無数のこんな人物を生み出した。なにもしなくても食っていける階級が、やることがないので暇つぶしのために、どうでもいいことに時間を掛けて異常な熱意を示した。

現代社会は、こんな社会に逆戻りしつつあるように見える。社会に肥大した公務員階級は、いまや「身分化」している。なにもしないでもお給料は保証されるのだが、それでは気が引けるのだろう。なにかをやっていることを社会に示すために、余計な不必要な仕事をつくり出して、それを国民に押しつけ、世の中をルールだらけのより不便な社会にする。神奈川県ではタバコを楽しめなくなってしまった。

ああいう輩はなにもしないで寝ていてくれるのが一番なのである(払う公務員給与ぐらいは必要悪だ)。民主党の農家への所得保証も同じ意味合いを持っている。お金をやるからなにもしないでいて欲しい、その方がよほど世のため人のためだというもの。それを率直に言うと、身も蓋もなくなるので、歯切れが悪くなってしまう。だから自民党農水族などから突っ込まれてしまうのだ。

2009年7月29日水曜日

7/29 Today アマチュア無線の日

- JARL - The Japan Amateur Radio League, Inc.: "JA1RL (中央局)は毎年、7 月29 日「アマチュア無線の日」を記念して公開運用をおこなっています。"
まだやっている人がいるのだ。

海の上で使うには国際VHFがよさそう:
国際VHF: "平成15年12月にエンジンが壊れたきっかけに緊急時の通信手段を搭載する準備を始めた。緊急時の通信手段はアマチュア無線、マリンVHF、携帯電話など色々考えられるが、平時から海岸局や保安庁などと連絡が取れる国際VHFが良いように思われます。"

2009年7月28日火曜日

日経(夕刊):歩き食べ族増殖中、通勤通学中におにぎり・カップめん

日経「らいふプラス」の記事。夕刊記者はケシカランことだと書きかけてみたものの、いろいろ取材すると、ニッポンの伝統としてはそんなにとんでもないことでもないとわかり、記者は振り上げたゲンコツをどうするか迷う。オモシロイ。

要旨:
  1. 食べ歩きならぬ「歩き食べ」する人が広がっている。真っ昼間の原宿でおにぎりを食べながら人混みを歩く若者。コンビニで買ったホットドッグを通勤電車の中で食べて朝食がわりとするOL。若い世代に増えている。その背景を識者に聞いてみた。
  2. 「他人を不快にさせるという感覚が、若者に薄れている」(愛知工業大学石垣尚男教授)
  3. 「歩きながら食べて時間を捻出している。周りが他人ばかりだと恥ずかしいとも感じない」(聖心女子大学菅原健介教授)
  4. 「歩きながら済ませればいいと言うくらいに、食への関心が低くなっている。若者にとっては食事はお腹が減るから仕方なくとるもの。面倒くさいのでは」(三浦展)
  5. 「マナー改善を呼びかける活動を実施したり、学生の意識を変えようと鋭意やっている」(東京女子体育大学浅見美弥子教授)
  6. 「日本では仕事をしながら食べる風土が昔からあった、歩き食べが行儀が悪いとされたのは、戦後のことではないか」(武庫川女子大藤本憲一教授)
  7. 「周りの人の視線に無頓着なことが反発を呼ぶ、臨機応変に場の良し悪しを考えて欲しい」(実践女子大学串崎扶美子さん)


これで思い出したのが、映画「恋に落ちて」だ。ロバート・デ・ニーロ演じる建築家(奥さん持ち)とメリル・ストリープ演じる人妻が恋に落ちる。これは最初の出だしから観客に分かっていた。ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープはそれぞれニューヨークで昼ご飯にホットドッグを立ち食いするのだ(もちろん別々に)。これで映画を見ている人は、彼ら二人は同じ価値観を共有する人間であると(結ばれることが運命付けられていることが)分かる仕組みとなっている。もちろんそれをトンでもないと見なすおばさんも登場する(エレベーターの中でデニーロはPTAおばさんから嫌がらせにあう)。どこにでもこういう正義感が強いおばさんはいるものだ。

ちなみにロバート・デニーロの奥さんは園芸に凝るエコロ女、メリル・ストリープの旦那はヨットなどやる気障なスノブという設定。当然ホットドッグを立ち食いする連れ合いとはうまく行っていない。

これとてもいい映画で、クリント・イーストウッドは「マジソン郡の橋」で雨の中の別れのシーンをぱくったくらい。最後はハッピーエンドで終わりほんとによかった。

話は別の方に行ってしまったが、言いたかったことは「歩き食べ」大いに結構と言うこと。江戸時代は鮨もそばも立ち食いだった。みんな揃ってチマチマした「手作り料理」を仲良く楽しく食べるというスタイルは、戦後に作られたものでしかない。




7/28 Today 東坡肉の父、蘇東坡が死ぬ(1101)

蘇軾 - Wikipedia: "蘇軾(そ しょく、景祐3年12月19日(1036年1月8日) - 建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。字は子瞻(しせん)。唐宋八大家の一人。蘇洵の長子であり、弟の蘇轍とともにそれぞれ大蘇、小蘇とも称される。

中華料理のポピュラーな品目である「東坡肉」(トンポーロー、ブタの角煮)は、彼が黄州へ左遷させられた際に豚肉料理について詠じた詩からつけられたという(自ら料理したとも言われる)。"

東坡肉の作り方:
[東坡肉(トンポーロー)] 料理レシピ|みんなのきょうの料理

"1 豚バラ肉が十分にかぶるくらいの水をなべに入れて火にかけ、50℃(手がやっと入れられるくらい)になったら肉を入れ、ゆでる。竹ぐしがスッと通るまで、煮立てないように弱火で約1時間煮て、そのまま冷ます。ゆで汁はこし、カップ3+1/2強をとっておく。

2 (1)の肉は4つから6つに切り分ける。肉がきっちりと並べられる大きさのなべに肉を入れ、ねぎ、しょうがを散らす。八角とカッコ内の材料も加える。汁が少なければ、かぶるくらいになるまで足す。

3 穴をあけたオーブン用の紙で落としぶたをし、弱火で2時間くらい、汁けが1/3程度になるまで煮込む。火を止め、粗熱が取れたら表面にラップをぴったりとはり、一晩冷やす。余分な脂肪が固まるので、ラップをそっとめくって脂肪を取り除く。

4 ほうれんそうは洗って塩ゆでし、水にさらして水けを絞る。ザク切りにし、酒大さじ1、塩・こしょう各少々であえて下味をつけ、温め直した肉に添える。こしょう少々をふる。"

2009年7月27日月曜日

NHKクロ現:親のガンの子どもへの告知、マニュアル化を巡る議論

クローズアップ現代 NHK:"がんとともに(1) どうする子への告知 30代~50代の"子育て世代"で乳がん患者などが増加。このことで新たな「告知」の問題が生じている。医療関係者が今年3月プロジェクトチームを立ち上げた。しかし参考にしたアメリカの様に「病名」をはっきり伝えるのは日本には合わないのではないか、議論が続いている。日本の親子関係にあった、子どもへの伝え方はどうあるべきか、がんに関わる新たな問題の解決策を考える。"
有識者会議では如何にこの問題を「マニュアル化」するかで侃々諤々だという。でも、こういう問題はすぐれて個人的な問題だ。しいて言えば「透明性」しかないだろうが「マニュアル化」することにはそぐわない問題だ。「知らしめないことこそニッポン的だ、そういうマニュアルにするべきだ」という輩もいるらしいが、なにが「ニッポン的」だと決めるのはあんたらじゃないだろう。意味のない会議を続けているとしか思えない。

こういう「意味のない会議」に参加したり、主宰したりして、メシを食っている連中が多すぎるのが、ニッポンの問題。

7/27 Today ロッキード事件、田中角栄逮捕(1976)

ロッキード事件 - Wikipedia: "この事件は、国内航空大手の全日本空輸(全日空)の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自由民主党衆議院議員で前内閣総理大臣の田中角栄が、1976年7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕された事件である。

また、田中以外に運輸政務次官佐藤孝行や元運輸大臣橋本登美三郎2名の政治家が逮捕されたほか、全日空社長の若狭得治、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAと深い関係にあった児玉誉士夫や、児玉の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治と相次いで逮捕者を出し、また、関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件となった。"


当時、とても印象に残った言葉がある。新潟の田中角栄支持者のおばさんの発言だが「外国のお金を貰ってどこが悪いの?日本の会社からだったら問題だけれど、外国からなら(日本にお金が増えることになるので)貰った方が得じゃないの」というもの。この人は本気でそう思っていたらしい。

もちろん外国からお金を貰っても、その分余分に日本の関係者に負担させることになるので、日本国民からお金をぶんどったこととかわりはない。角栄がそのお金を地元政治にばらまいたとすれば、新潟の有権者が飛行機乗客と全日空の株主のお金をピンハネしたことになる。

誰が得して誰が損したのか、こういうことを理解できない人たちがまだまだ多いことが日本の政治がなかなか成熟できない原因。政治は損得勘定で考えるべきものなのである。恐慌脱出にはほとんど役に立たない経済学も、こうした損得勘定には有効なのである。

2009年7月26日日曜日

7/26 Today 太田道灌暗殺(1486)

太田道灌 - Wikipedia: "文明18年7月26日(1486年8月25日)定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれた道灌はここで暗殺された。享年55。

『太田資武状』によると、道灌は入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、斬り倒された。死に際に「当方滅亡」と言い残したという。自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという予言である。"

あれほど主家である上杉家に尽くしたのに、その上杉家に暗殺されるとは可哀想。道潅は目立ちすぎたのだ。

源頼家といい太田道灌といい、当時は風呂場で殺されることが多かった。刀を持って入浴できないから風呂場では誰も丸腰で無防備。絶好の暗殺のチャンスだったわけ。

「非武装中立論」も丸腰になるということだからやっぱり危険。アメリカ人から銃を取りあげることもこれと同じで、普通のアメリカ人にとってはトンでもないことなのだ。でも普通の日本人の感覚では誰もが銃を保有することが出来るというアメリカ社会は異常で理解できない。ニッポンでは秀吉の「刀狩り」以来ずっと平民は丸腰で、上層階級である武士による「切り捨て御免」に慣らされてきたから、お上による国民武装解除に対する拒絶反応が希薄なのである。

2009年7月25日土曜日

7/25 Today 散人のバス釣り記念日(2006)

おいらがはじめてブラックバスを釣った記念すべき日:
山中湖:バスを釣ったぞ!: "昨日買った道具でいよいよバス釣りに挑戦。悪戦苦闘の数時間。でもなんとかバスが一尾釣れた。20センチもあったぞ。 記念写真:"


あれから3年、おいらの技術はいまだに中途半端なまま。精進精進。

2009年7月24日金曜日

「司馬遼太郎と村上春樹の共通点は、ニッポン人の集団的邪悪性についての認識である」(内田樹)

内田樹がこんなことを言っている:
おじさんの胸にキュンと来る (内田樹の研究室): "村上春樹は司馬遼太郎の跡を継ぐ「国民作家」なのであるが、それに気づいている人は少ないという話。

彼らは私たちの社会の深層に伏流している、邪悪で不健康な「マグマ」のようなものについて意識的である点で共通している。

『坂の上の雲』と『ねじまき鳥クロニクル』が同じ「マグマ問題」を扱っているということを言う人はあまりいないけど、実はそうなのである。

その「マグマ」のようなもの(司馬遼太郎はそれを「鬼胎」と呼んだ)は尊王攘夷運動や日比谷焼き討ちや満州事変やノモンハン事件や血盟団事件や60年安保闘争や全共闘運動や連合赤軍事件やオウム真理教事件などさまざまな意匠をまとってそのつど地殻を破って噴出してくる。

日本人の心性の深層にわだかまるこの熱価の高い衝動に触れない限り、日本人を集団的な熱狂のうちに巻き込むことはできない。

これを根絶することは不可能である。

してもいいけれど、仮に根絶できたとしたら、そのときに「日本人」というものはもういなくなる。

集団が成立する程度には熱狂的であり、暴力的・排他的に機能することを自制できる程度には謙抑的である「許容範囲」にこれをコントロールするのが、さしあたり日本の「大人」の仕事である。

そのためにはこの「どろどろして不健康で暗いもの」の機能と生態と統御についての技術的知が必要である。"

これは「名言」である。この「マグマ」のような集団的衝動が、われわれニッポン人を特徴づけてきた。昔は「軍国主義」、戦後は「猛烈会社員主義」、今は「出る杭をたたく弱者と環境にやさしい清く貧しい平等主義」。すべて同根である。

共通するのは、「金太郎飴」的な画一性と動き出すといっせいに噴出する「マグマ」的衝動。恐ろしいくらいだ。

戦前の日本は、この「マグマ」的衝動のおかげで、世界に冠たる軍事大国に「発展」した。

戦後の日本は、この「マグマ」的衝動のおかげで、世界に冠たる「経済大国」に発展した。

21世紀の日本は、この「マグマ」的衝動のおかげで、世界に冠たる「みんな平等で貧しいキューバみたいな官僚国家」に発展するではないか。

NHKを見ていると、月収が二十万円では体の不自由な親を介護施設に入所させることが出来ないので自分で面倒を見なければならない。これはシステムがおかしいとの趣旨の番組をやっていた。これは小泉改革のせいだとのこと。NHKなどのポリティカリーコレクトおばさんの言うとおりにやっていると「みんな一緒に清く貧しい社会」へまっしぐらである。こんなキューバ的社会はごめんである。

2009年7月20日月曜日

7/20 Today「 海の日」(7月第3月曜日)

海の日 - Wikipedia:"海の日(うみのひ)は、1996年に制定された日本の国民の祝日の1日である。制定当初は7月20日だったが、祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003年から7月第3月曜日となった。

国民の祝日に関する法律(祝日法)では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。"

でも日本の「海離れ」は著しい。日本の外洋船員数も、漁業従事者数も、ヨット人口も、今や激減。日本は「農民国家」に逆戻りしつつある。

国土交通省や地方自治体の行政の基本が「陸」にあるからしかたがないところか。法定安全器具は国際価格とくらべてべらぼうに高いし、航海機器(通信)の規制緩和は全く遅れているし、北海道庁は北海道へのヨット渡航を禁止するし、今回トカラ列島でも役場は「ヨットは出ていけ」と言い出すし、困ったことである。

「海洋国家」の基本は「移動の自由」の保証だ。風の力だけで世界中どこにでも移動できるヨットは、「自由の獲得」という意味で、海洋国家の原点である。欧米諸国でのヨット人口の多さには、こういう国民的な文化の背景がある。

ヨットはいざとなれば軍事力にもなる。ダンケルク撤退作戦ではイギリス中のヨットが動員され兵員輸送に活躍した。だからイギリスでは今でもヨットには最高の敬意を表して海軍旗を掲げることが許されている。日本みたいにプレジャーボートを目の仇にして迫害する国家は弱体化するのである。

2009年7月19日日曜日

7/19 Today 鈴木善幸が死ぬ(2004)

鈴木善幸 - Wikipedia: "鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年(明治44年)1月11日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。
郵政大臣、内閣官房長官、厚生大臣、農林大臣、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)を歴任した。 明治生まれとしては最後の内閣総理大臣である。"

影が薄い総理大臣で、外交問題でも「大失言」をやらかすし、評判はパッとしなかった。しかし、とても真面目な政治家だったようだ。


鈴木善幸総理の秘書官だった人(誰か忘れた、大蔵省OB)が書いているが、鈴木善幸の国会答弁は「原稿棒読み」と批判されたが、鈴木ほど官僚の書いた答弁案に手を入れる総理はいなかったのだそうだ。だから秘書官は国会が始まると毎晩徹夜徹夜でたいへんだったらしい。その自分で何度も書き直した原稿を国会で「棒読み」したとのこと。

マスコミに馬鹿にされて悔しくないですかと秘書官が問うに、鈴木は、総理大臣の答弁は以後の国会審議のベースとなる重要なものだから「棒読み」がいい、世間をうならせる演説を即興でする人もいるが、後で議事録を読んでみるとまるで内容がないのが通例だ、「棒読み」に限ると答えたそうな。

人は見かけではわからないものである。

2009年7月18日土曜日

日経「文学の周遊」(中沢義則):吉行淳之介「恐ろしい場所」……これは優れて「現代的」であるべき小説だ

今日の日経夕刊で吉行淳之介の『恐ろしい場所』が取りあげられていた(編集委員中沢義則)。あれはホンマに怖いお話しで、その中でも一番印象に残っているとっても恐ろしいお話しが適確に紹介されていたので感激。吉行淳之介が何とかして入居できた下宿の娘が作るお弁当のお話しだ。娘は、蓮根や竹輪の中に得体の知れぬ毒々しい色の詰め物を押し込んだ気味の悪いオカズを吉行に食わせようとする。「鋭敏な感受性を持つ主人公はそれに絶えきれず逃げ出す」と中沢義則氏は解説するが、こういう「鋭敏な感受性」は現代ニッポンには見あたらなくなってしまったようだ。NHKの朝の料理番組を見ているが、軒並みこういった類の料理ばっかりで、おいらみたいな旧世代人類にとってはとても気持ちが悪いのである。

ゴテゴテした「手間暇の掛けた愛情弁当」とやらは日本独特の産物らしい。お金持ちの国アメリカでも子供の弁当はピーナツバターのサンドウィッチと決まっている。重たい昼食をとる欧州各国でも晩飯はスープとチーズのシンプルなものが定番。ところがニッポンのテレビでは、貴重な電波割り当てを独占する正直半分ぐらいの番組局で、アホタレントが「オイシー!」とか「ヤワラカーイ!」とかの「ボキャ貧」言葉を連発しているのである。ニッポンはいつの間にこういった「食い物オブセッション」しかない意地汚い国になってしまったのか。

戦前世代だった吉行淳之介の持っていた「感受性」がいつしか失われ、飢餓記憶だけが脳細胞に深く織り込まれてしまった戦後の日本人が、それを解消しようとしてただただ「食い物」に執着してしまった結果だろう。ニッポンの農村利権集団はそれを利用して更に儲けようと画策し、この傾向が一層助長されることとなっている。悲しいことである。



アサヒ:中国人の農業実習生の「残業代」は時間300円!

あらら、こんなことをやっているのだ:
asahi.com(朝日新聞社):中国人研修生の成功確率は3割 「違法残業」も覚悟 - ビジネス・経済: "面接は5、6人ずつ、1組に約30分。50人を面接した後、農家が気に入った半数を再び呼び入れて「2次面接」が始まった。全員を立たせたまま、農家の7人は「早い者勝ち。おれはあの気の強そうな子にする」「残りものには福があると言うぞ」などと日本語でやりとりし、それぞれ採用する人を決めた。約40分で計17人が合格した。"
まるで東南アジアに繰り出した農協視察団の面々が現地の怪しげなクラブで相方を選んでいるような雰囲気。

彼女たち(ほとんどが若い女性)の基本給は月6万円、「残業代(「お手伝い」と呼ぶらしい)」は時間300円。日本にやってきた中国人実習生の7割はお金を貯めることが出来ず、以前より貧しくなって帰国するという。

ニッポンの恥だな。こんな農家が作ったものは食いたくない。「ポリティカリーコレクト」が大好きな人権団体はなにをやっているのだ。

7/18 Today 源頼家暗殺(1204)

源頼家 - Wikipedia: "源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)。鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男。母は北条政子。生誕 寿永元年8月12日(1182年9月11日) 死没 元久元年7月18日(1204年8月14日)

「修禅寺にてまた頼家入道を刺殺してけり。とみに、えとりつめざりければ、頸に緒をつけ、ふぐりを取りなどして殺してけりと聞えき。」『愚管抄』(巻第六)"
「ふぐり」とは「○○タマ」のこと。土臭い吾妻武士は野蛮だったのだ。

写真は頼家の面という。風呂の湯に毒を入れられ顔が膨れ上がってしまっていた。無念の形相のように見える。

2009年7月17日金曜日

7/17 Today 富士山大噴火(864)

別ブログに書いたが、今日は富士山大噴火の日らしい:
Letter from Yamanakako: 864年(貞観6年)の今日「富士山大噴火」……西湖と精進湖が出来る

ところで、伊豆半島は本州とは別のプレート上の山塊だったってことはご存じでした? 伊豆半島は昔々フィリピンの方から流れ着いたものだそうです。

南の海上からやって来た伊豆が本州とぶつかったので丹沢とか富士山が膨れ上がったそうな。どうりで、伊豆半島はちょっとニッポン離れをした地形。流人を流したのもあそこが名実ともに「外界」だったからでしょうな。

でも今や富士山や伊豆・箱根の温泉郷は「ニッポンの文化」らしい。外来植物であるコメがニッポンの文化であることと同じ。

外来種イジメはもういい加減にやめたらどうかな。ウナギも中国産は半値。違いはプロでも味では分からず、農水省肝いりプロジェクトのDNA鑑定をしないと区別が付かないらしい。

2009年7月16日木曜日

NHKクローズアップ現代:「ウイグル騒動」……隣の不幸は一番のおかず

NHKクニヤはそう感じているようで、嬉しそうに「ウイグル騒動」を伝える。 シアリアスといえば、まあ、その通りなんだけれど……:
クローズアップ現代 NHK"7月16日(木)放送ウイグル暴動~中国の“誤算”~1000人以上の死傷者を出した中国・新疆ウイグル自治区での暴動。サミットに出席するためイタリアを訪れていた胡錦涛主席が急遽帰国するなど、暴動は建国60周年を前に引き締めを強化していた中国政府に大きな衝撃を与えた。暴動はなぜ起きたのか。背景にあるのは、国策によって移住を進めてきた漢族に対するウイグル族の反発だ。自治区の発展が漢族主導で進む中、経済格差と差別の実態にウイグル族の不満は膨らみ続けた。一方、今回の暴動では、中国メディアが漢族側の受けた被害を一斉に報道。当局も海外メディア向けにプレスセンターをいち早く設置するなど、鎮圧行動の正当性を国際社会にアピールしようと積極的なメディア戦略を展開した。分離独立をめぐって対立の歴史を繰り返してきたウイグル族と漢族。中国の"アキレス腱"とも呼ばれる少数民族問題の深層に迫る。"
基本的な問題は「中国は領土を広げすぎた」ということだろう。 ローマ帝国のハドリアヌス帝の決断が今求められているのかも。

でも、ハドリアヌス帝の洞察は、ウヨ的ムードに舞い上がったアホ・ローマ市民には理解されなかった。それがローマ帝国の滅亡を早めることとなる。胡錦濤が今一番頭を悩ましているのは、中国のアホ・ナショナリズムをどうやってコントロールするかと言うことだろう。ロシアもこれに気がついていち早く「ソ連」の領土から撤収をはじめた。イギリスの撤退は、もっと早くからで、めざましかった。中国も、あんな辺境は辺境として貧しいままに放置し、自国の繁栄を優先した方がいいと思う。

生産性が悪いくせに平等意識だけは一人前でオンブに抱っこで生活している「辺境」は、早いこと「独立」し勝手にやって貰った方がよほど世のため人のためなのである。ニッポンに於いても同じだ。

7/16 Today 中野孝次が死ぬ(2004)

中野孝次 - Wikipedia: "中野 孝次(なかの こうじ、1925年1月1日 - 2004年7月16日)は作家、ドイツ文学者、評論家。千葉県市川市須和田出身。父は大工。著書『清貧の思想』、愛犬ハラス(柴犬)との日々を描いた『ハラスのいた日々』はベストセラーとなった。"


清貧の思想』は、単に過去の清貧思想家の生き方を羅列しただけのもので、それほど面白い考察ではなかったが、爆発的に売れた(1992年発刊)。バブル崩壊の直後だった。時代がそういう本を必要としていたのだ。

いまの時代の『清貧の思想』は、さしずめこれか:



バブルとはしょせん「頭がいかれている状態」だから、いろいろアホなことにお金を遣う。バブルの崩壊とともに、人々は平常心を取り戻し、消費パターンは堅実化する。とてもいいことである。

2009年7月14日火曜日

アサヒ:農水族「利敵行為」「軽く見ている」 鶏卵大会中止要請

なんか面白い:
asahi.com(朝日新聞社):農水族「利敵行為」「軽く見ている」 鶏卵大会中止要請 - 政治: "自らの権益にしがみつく族議員、その顔色をうかがう官僚、振り回される業界。「日本鶏卵生産者協会」の生産者大会が昨年2月、農林水産省幹部によって再三の中止要請を受けた問題は、そんな3者の、いかにも古めかしい構図を浮かび上がらせる。"

自民党は、日本の農村こそ自分たちの「金城湯池」だと思っていたのに、タマゴ業界から冷たくされたので拗ねている。これは意味深長。

日本の鶏卵生産業界は非常に国際競争力がある。日本の農産物で国際水準並みの低価格で供給されているのはタマゴと鶏肉だけだからだ。これはみんな「専業」であることと、昭和30年代、日本の総合商社が鶏卵インテグレーションに頑張ったからだ(省スペース農業であり強欲地主のボロ儲け過剰利潤を避けられたことも大きい)。おいらが幼かったときは牛肉よりも高かった貴重品であるタマゴがいまやきわめて安価に供給されるようになっている。日本に住みながら農家(地主)にぼられないような食生活をしようと思えばコメ抜きで親子丼を食うこと。これに尽きる。江戸っ子粋人はてんぷらソバのそば抜きを「ヌキ」と言ってよく食べたものだ(要は天ぷらだけを食った)。親子丼も「ヌキ」で食えば粋だし、メタボとも無縁。

閑話休題。自民党の描く日本の農業は、あくまでも「地主」である「兼業農家」の福祉向上が実現する農業。兼業農家は一票格差のおかげで日本の多数派だから、集票を考えれば合理的な選択なのかも知れないが、それでは日本経済と日本農業の将来は暗い。

国際競争力がある先端的なタマゴ鶏肉業界が、自民党と袂を分かちたいと考えていることは、非常に良く分かる。自民党ではニッポンの農業は再生されないと思う。

7/14 Today ビリー・ザ・キッドが射殺される(1881)

ビリー・ザ・キッド - Wikipedia: "ビリー・ザ・キッド(Billy the Kid, 1859年11月23日 - 1881年7月14日)は、アメリカ西部開拓時代のカウボーイ、無法者。ニューヨークに生まれ南部で育ったと言われる。本名はヘンリー・マッカーティー(Henry McCarty)とされるが、偽名としてヘンリー・アントリム(Henry Antrim)、ウィリアム・H・ボニー(William H. Bonney)という名前も知られている。1880年12月に友人でもあった保安官、パット・ギャレットによって仲間と共に逮捕される。1881年4月18日に刑務所を脱走。同年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレットに射殺される。"


お墓の石を削って持ち帰る人がいるらしい。鼠小僧のお墓もそうじゃなかったかな。
彼の墓石は有名人にありがちなことに、度々記念品として削られて持ち帰られてしまうため、現在は写真のように檻の中にしまわれてしまっている。 墓石にはこのような墓碑銘が刻まれている。

Truth and History.
21 Men.
The Boy Bandit King
He Died As He Lived
William H. Bonney "Billy the Kid"

(真実と経歴。21人を殺した。少年悪漢王 彼は彼らしく生きて死んだ ウィリアム・H・ボニー 『ビリー・ザ・キッド』)

2009年7月13日月曜日

NHKクロ現「おひとりさまの住まい」……もういい加減に高齢者を「メシの種」にするのはやめて欲しいんだけれど……

いつものことながら、うんざりしたこの番組:
クローズアップ現代 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]: "クローズアップ現代「“おひとりさま”の住まい 安心の老後は?」女子大生とお年寄りたちが助け合いつつ共同生活。こんなユニークな老後の住まいが各地で生まれています。生き甲斐と安心のある“ついの住みか”の姿を探ります。出演 ノンフィクション作家…加藤仁,【キャスター】国谷裕子"

背広とネクタイした人の「ご高説」なんか高齢者には「もう結構」。余計なことをしないで、フィリピン介護士の入国自由化を認めろ!そうすればすべての問題は解決する。

入居一時金350万円、毎月の家賃11万5000円の高齢者施設が「とても安い新サービス」なんだとさ。アホらしい。

高齢者が求めていることは、死ぬまで住みなれた自宅で過ごし、動けなくなったらせめておむつの交換をして欲しい、それだけ。メシが自分で食えないようになったら、それは死ぬときだと認識している。すべての動物がそうだ。「女子大生」とやらを同居させるのも、みんな一緒に遊戯をするという「コミュニティー」なんかも、余計なお世話。願い下げだ。

それなのに、やたらに「評論家」とやらがマスコミに登場し「正しい介護施設の在り方」なんかを説教する。あいつらそれでメシを食っているのだ。老人問題を自分を含む介護でメシを食っている利権集団への利益誘導に結びつけようとする魂胆がミエミエ。どっかに行け!

人にはそれぞれある。老人ホームに入ってみんな一緒にゲートボールをしたいという人もいるだろうが、だれにも邪魔されたくない、でも自分のディグニティーだけは最後まで守りたいという人もいる。むしろそういう人の方が多いだろう。それなら言葉なんかわからなくっても結構。フィリピン人の介護士を自宅に住まわしてやり、家賃分で介護サービスを受ける方がよほど合理的だ。

なぜこれが実現できないのか。箱物中心の介護産業がニッポンの巨大な利権産業と化しているからである。終身雇用ベースの給料を貰い、空調の効いた事務所で「仕事」をする「なんとかマネージャー」や、背広をきてネクタイを締めた「介護評論家」が、それでメシを食い、自分の既得権を主張するのである。年寄りが払う介護保険料のほとんどがあいつらの人件費と化けて消えてしまう。年寄りがなにをして欲しいのかという現場のニーズとはかけ離れた方向にものごとは進んでいる。

格好のいい「評論」をする専門家や、なんとかマネージャーや、一緒に住まわせる女子大生徒やらは、年寄りのおむつの世話をしてくれるのか! カッコいいことを言うだけでなにもしない。おいらは願い下げだ。実際に動いてくれるフィリピン人介護士の方がよほどいい。このほうが国民経済的にも、ものすごい経費節約となる。

老人を食い物にする介護利権集団よ、去れ!


7/13 Today フリーダ・カーロが死ぬ(1954)

フリーダ・カーロ - Wikipedia: "マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。メキシコで最も有名な画家の1人で、特にイサム・ノグチやレフ・トロツキーとの不倫など、その奔放な恋愛遍歴は、メキシコやラテンアメリカの女性の理想像の1つとされ、何度か映画化されている。メキシコ共産党員でもあり、居室にヨシフ・スターリンの肖像を掲げて暮らしていた。1954年7月13日、肺塞栓症で逝去。彼女の生家・通称「青の家」(La Casa Azul)は、現在「フリーダ・カーロ博物館」となっている。"

なにかおっかない感じで苦手なタイプだが、トロツキーと一緒にいる映像が残っている(↓)。これでは、なかなかかわいい。トロツキーの鼻の下の長さも必見。



2009年7月12日日曜日

NHK BsHi : 「ピラミッドはこうして造られた」……これ、カルチャーショック!

NHKの普通の主婦向け番組は、エコロ賛歌で満ちあふれた農村利権集団への利益誘導番組ばかりだが、たまにやる科学・歴史番組のなかは実にいいものがある。この番組を見て、驚倒。目からウロコだった:
NHK BSオンライン: "今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られている大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。クレーンもない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、そこ答えは出ず、古代エジプト史上、最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという人物が現れた。フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。ピラミッドの登頂調査をはじめ、ウーダン氏のピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎を興味深く解き明かしていく。"
こういう手があったのか! 実に驚いた。

それにしても、「ピラミッドの謎」はどうしていままで謎のままだったのか? エジプト考古学会が外国人研究者による調査を極度に制限してきたからである。今回の新学説も現地検証調査は限られた範囲でしか許されなかった模様。あいつらは極度にナショナリストで外来種排除主義者であるから。

とにかく再放送があるようだから、絶対に見るべし。おどろき桃の木山椒の木。古代エジプト人は、実に頭がいいエンジニアであったことを認識するだろう。頭が悪くてはあんな偉大な文明を作れたわけがないのである。

頭が悪い原理主義者ばっかりのニッポンじゃ、文明はなかなか生まれないな。つい悲観主義に陥る。

7/12 Today 『悪魔の詩』訳者殺人事件(1991)

もう18年も経つのだ:
悪魔の詩 - Wikipedia: "『悪魔の詩』(あくまのし、あくまのうた、訳書にルビはない。原題:The Satanic Verses)は、1988年に発表された、イギリスの作家サルマーン・ルシュディーがムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大学助教授五十嵐一(いがらし ひとし)によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。

イギリスでは1988年ブッカー賞最終候補となり、また同年のホワイトブレッド賞小説部門を受賞するなど高い評価を得る一方、現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容がムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた。この結果、一連の焚書騒動、イラン最高指導者ホメイニによるルシュディーの死刑宣告に続き各国の翻訳者・出版関係者を標的とした暗殺事件が発生した。

1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された(悪魔の詩訳者殺人事件)。"
この「死刑宣告」はいまだに取り消されていないらしい。

経緯:
1989年2月14日 - イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニーによって著者のルシュディー、及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告が言い渡され、ルシュディーはイギリス警察に厳重に保護された。死刑宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。

1989年2月15日 - イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。

1989年6月3日 - 心臓発作のためホメイニーが死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、以後、撤回することはできなくなった。

1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された(悪魔の詩訳者殺人事件)。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。

1993年 - トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡した。

1998年 - イラン政府は、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。

2006年7月11日 - 悪魔の詩訳者殺人事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。

まあ、ブッシュ君みたいに気に入らないからと言って戦争をおっぱじめるより「死刑宣告」の方が安上がりだけれど、思いこみの強い原理主義者は困りものです。ニッポンでも「カンキョー、カンキョー」とお経みたいに唱える輩が増えた。



2009年7月11日土曜日

東京都議会選挙:中選挙区制だから、頭を使わなくちゃ駄目だな〜

明日はいよいよ東京都議会選挙。新宿区では定員4議席。ほとんどやる前から結果が分かっている。まるで面白くない。でも、頭は使いようだ。

自分の支持政党を応援するために投票するのではなく、悪い奴を「落とす」ことに集中して投票するのである。これは結構むつかしい判断となるが、頭脳トレーニングにもなる。

AV女優も立候補していて、これもまたありかとも考えたが「死に票」とはしたくない。いろいろ考えたあげく戦略を決めて期日前投票。

農村バラマキ政党にはとにかく投票しない。伝統的に農村への利益誘導を主張する与党はもちろん、最近は野党でも都市住民の利益を無視して農村に媚びを売るようになっている。農村部の圧倒的な集票力と「一票格差」を考えれば当然の選挙戦略だろうが、自分たちの政治理念を平気で捨て去る姑息な手段であり、あまりにもさもしい。

でも「みんな一緒」が大好きなエコ狂いのアホ若年層はそれに靡いているらしい。このままではニッポンがますますヒャクショウ化・貧困化していくことは避けられない。おいら老年層にとってはどうでもいいことだが、将来の経済的負担がすべて若年層に掛かっていくことを考えれば、とても悲しいことである。

日経:不況でマンゴー「太陽のタマゴ」が二個3万円に値下げ!……でも、ぼったくり度は全く同じ

今日の日経夕刊。高額食材の値下がり続いているとの報道。国産高級和牛やブランドマンゴーや高級マグロなどの水産品の値崩れがすさまじいという。ああいうものを喜んで食う風潮はバブル以外の何ものでもなかった。国民はようやく平常心を取り戻しつつあるのだ。長期的に見て、今回の世界大不況も、まんざら悪いことではなかった。でも、下がったと言ってもまだめちゃくちゃ高い。まだまだ下がるだろう。

値下げしたブランド超高級マンゴーはこれまで二個5万円で贈答品として売られていたという。今どきこんなマンゴーを贈られた人は、あきれはて、贈った人の常識を疑うことになるのは間違いがないところ。値下げしたといっても二個3万円じゃ贈った人は大奮発したつもりでもみんなから軽蔑されるのがオチ。たかがマンゴーに三万円を払うアホだと広告することとなり、みなから馬鹿にされるのである。

今回の不況は人々の平常心を呼び戻しつつある。たかが食い物にバカダカイ値段を有り難がって払うのはカッコワルイ「バブル現象」であった。ようやく人々はそれに気がついた。この変化は構造的・非可逆的なものであり、単なる不況による一時的なものではない(当たり前でしょう。たかがマンゴーに3万円も払うのは誰がみてもアホそのものだ。南米じゃマンゴーは落ちてるのを拾って食うのが正しい食べ方)。

この「超バカダカイマンゴー」の生産販売は宮崎県の東国原知事の肝いりのプロジェクトだったそうだ。彼は時代の変化を完全に読み間違いした。自民党の総裁になりたいと言いだしたのも、彼の感覚がずれている証拠だろう。

ニッポンの農林水産物価格には、この手の「バブル的価格設定」が多すぎる。彼らは時代の変化を完全に読み間違っているのである。

7/11 Today 北条政子が死ぬ(1225)

北条政子 - Wikipedia: "北条 政子(ほうじょう まさこ、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は頼家、実朝、大姫、三幡姫。伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所(みだいどころ)と呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。法名を安養院(あんにょういん)といった。頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。"
類い希な政治家であった。

頼朝が死に、子供たちも皆死んでしまってからの政子がすごい:
承久3年(1221年)、皇権の回復を望む後鳥羽上皇と幕府との対立は深まり、遂に上皇は京都守護伊賀光季を攻め殺して挙兵に踏み切った。上皇は義時追討の宣旨を諸国の守護と地頭に下す。上皇挙兵の報を聞いて鎌倉の御家人たちは動揺した。武士たちの朝廷への畏れは依然として大きかった。

政子は御家人たちを前に「最期の詞(ことば)」として「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い、逆臣の讒言により不義の宣旨が下された。秀康、胤義(上皇の近臣)を討って、三代将軍(実朝)の遺跡を全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい」との声明を発表。これで御家人の動揺は収まった。『吾妻鏡』や『承久記』には政子自身が鎌倉武士を前に涙の演説を行い、御家人は皆落涙した旨の記述がある。

軍議が開かれ箱根・足柄で迎撃しようとする防御策が強かったが、大江広元は出撃して京へ進軍する積極策を強く求め、政子の裁断で出撃と決まり、御家人に動員令が下る。またも消極策が持ち上がるが、三善康信が重ねて出撃を説き、政子がこれを支持して幕府軍は出撃した。幕府軍は19万騎の大軍に膨れ上がる。

後鳥羽上皇は宣旨の効果を絶対視して幕府軍の出撃を予想しておらず狼狽する。京方は幕府の大軍の前に各地で敗退して、幕府軍は京を占領。後鳥羽上皇は義時追討の宣旨を取り下げて事実上降伏し、隠岐島へ流された。

あの頼朝ですら、朝敵となることは極度に恐れた。臣下源氏という立場上これはどうしようもないことである。でも伊豆の田舎生まれの政子は、朝廷の権威なぞなにするものぞとばかり平気で朝廷との戦いを始め、撃ち破ってしまう。鎌倉政権の「革命的」性格がこれで確定することとなる。

政子の評価はいろいろあるが、この点だけを取ってもとてもエライ人であった。

2009年7月10日金曜日

「水俣病でメシを食え」(吉永利夫)

あらら、日経ビジネスにこんなことを書いている人がいた:
負の遺産こそ最良の地域コンテンツ:日経ビジネスオンライン: "「水俣病でメシを食え」。私は常々、こう連呼しています。水俣病という最悪の公害を生み出した水俣。その水俣だからこそ伝えられることがある。そして、それが水俣という地方都市の活性化につながる——。"

書いている人は、この40年間、まさに水俣問題でメシを食ってきた人。今度、国が大幅譲歩した最終決着で仕事がなくなったことに危機感を持たれているご様子。

でも、水俣ばかりじゃない。全国にはこの手の「ビジネス」が無数にある。具体例はすぐ20ほどは思いつくが、敢えて書かない。これが生業(なりわい)となってしまった以上、簡単に解決して貰ってはメシの食い上げとなりむしろ困る。だから問題は長引くのである。

日本は、弱者や被害者であることを言い立てて国のお金(他人の税金ですね)を当てにする連中ばっかりになってしまった。政府やお役人も国のお金はしょせん他人の税金なので、大盤振る舞い。ニッポンはいよいよ落ち目。

7/10 Today ハドリアヌス帝が死ぬ(AD138)

ハドリアヌス - Wikipedia: "プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス(古典ラテン語:Publius Aelius Trajanus Hadrianus(プーブリウス・アエリウス・トライヤーヌス・ハドリアーヌス)、76年1月24日 - 138年7月10日)はローマ帝国の第14代皇帝(在位:117年 - 138年)。五賢帝の3人目。帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努める一方、トラヤヌス帝による帝国拡大路線を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化路線へと転換した。"
コストばかり掛かってリターンをもたらさない領土は「負債」にしか過ぎないことをよく認識していた。しかしダキア(ルーマニア)から撤退しようとしたときは、ウヨ的ムードに舞い上がったローマ市民がこぞって反対し、挫折してしまう。ハドリアヌスは失意のうちに死ぬ。

北方領土だって同じようなもんじゃないか。経済的価値といえば、いささかの漁業資源だけ。周辺の漁協はすこしは儲かるかも知れないが、国民経済的にはゼロに等しい。北方領土問題はメシの種という連中が多くなってしまった。こんな問題を抱えてしまったおかげで日露両国関係に多大なマイナスのコストをもたらしている。ハドリアヌス帝だったら躊躇なく島を放棄したはずだ。

2009年7月9日木曜日

「農業は楽しくてしかたがない」(山下惣一)……そりゃそうだわな、そのコストはおいら都市住民が払っているから

今晩の日経夕刊で「農民作家」だとか言う山下惣一が、「ようやくニッポンで農業がみんなに理解されてきた」と、はなばなしく勝利宣言。農業ほど楽して儲かる都合のいい商売はないそうだ。そのコストはおいら都市住民が払っていると言うことを全く無視して自分の都合だけで組み立てたエゴイスティックな利権集団論理まるだしの理屈。いい気なもんだ。あんたら農民とやらを満足させるためにだけ日本の都市住民は多大な余分のお金を払わされ、その結果、あんたらは幸せで豊かになったかも知れないが、都市住民はいよいよ不仕合わせになり困窮化してしまったのである。この「農民作家」山下惣一とやらは、かれが展開する屁理屈が「ノーミン栄えてニッポンが滅ぶ」ということを如実に物語っているという意味で、まことに時代の真実を捉えている作家だ。

この人はこんなことを一貫して強弁してきたらしい。コメントト欄に寄せられた情報(Junさん)によれば;
Blogger: Letter from Yochomachi - コメントを投稿: "100の屁理屈が読みたくなったら、お勧めは「ザマミロ!農は永遠なりだ」(農民作家・山下惣一著)ですな。データとかは用いず、ただひたすらWTOはつぶせとか、フードマイレージを減らせ地産地消が一番いいとか、直販所は農家がおすそ分けのやさしさでお前ら消費者にめぐんでやってるんだとか、そんなお話。散人さんのような人が日本に増えるなら、彼ら農民はいよいよ独立するそうですよ。そうなったら困るのは我々馬鹿な消費者だそうな。

内容(「BOOK」データベースより)

この国と国民に農業を守る意思がないのなら、百姓は独立するぞ!愉快、痛快、爽快、百姓のいいたい放題。"


こういう輩は「早く独立」して欲しいな。こんなやつらを食わせるのには、もう飽き飽きしているから。あいつら、自分の食い扶持ぐらいは自分で稼いで欲しい。

7/9 Today 森鷗外が「石見人森林太郎トシテ」死ぬ(1922)

森鷗外 - Wikipedia: "森 鷗外(もり おうがい、文久2年1月19日(1862年2月17日)- 大正11年(1922年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、戯曲家、陸軍軍医、官僚(高等官一等)。陸軍軍医総監(中将相当)・正四位・勲二等・功三級・医学博士・文学博士。第一次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されている。本名、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京帝国大学医学部 卒業。"


藩医の嫡男として、幼い頃から論語や孟子やオランダ語などを学び、藩校の養老館では四書五経を復読。当時の記録から、9歳で15歳相当の学力と推測されており、激動の明治維新に家族と周囲から将来を期待されることになった。1872年(明治5年)、廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京し、官立医学校(ドイツ人教官がドイツ語で講義)への入学に備え、ドイツ語を習得するため、1872年10月に私塾の進文学社に入った。ドイツ人学者にドイツ語で反論して打ち負かすほど、語学に堪能であった。著作でドイツ語やフランス語などを多用しており、また中国古典からの引用も少なくない。なお、西洋語学を習得する秘訣として、作品内で語源を学習に役立てる逸話を記した。

鷗外の天才の秘密は四書五経にあることが分かる。思考方法の確立とは抽象的言語体系の修得に他ならないから(たとえ母国語であれ)外国語として言語を習得するほうが理にかなっているのである。「感じたまま自分の言葉で」なぞと言っているようでは「国語」は修得できない。語源が分かれば術語は分かるというのも卓見。

明治社会で一大出世をした鷗外だったが、死に際しては次のような遺言を残している:
7/9 Today 森鴎外没(1922)……「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ」: "余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリココニ死ニ臨ンデ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官権威力ト雖、此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス、余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス、宮内省陸軍皆縁故アレトモ生死別ル、瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス、森林太郎トシテ死セントス、墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス、書ハ中村不折ニ委託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス

大正11年7月6日

森 林 太 郎 言
賀 古 鶴 所 書"

根っからの個人主義者であった。

2009年7月8日水曜日

「The Big Issue」を買った……これこそ人道問題の直接的で一番効果的な解決方法

曙橋の地下鉄の前で「The Big Issue」を売っているホームレスの人がいた。さっそく買いました。このシステムには、心底共感する。

この雑誌(The Big Issue)とはホームレスの人たちの自立を助けるための「企業組織」であり、月に二回真面目な内容の雑誌を発行し、ホームレスの人たちを通じて販売している。販売価格は一部300円。そのうち160円が雑誌を販売するホームレス個人に手数料として支払われる。一日30部でも売れればちゃんと自分が稼いだお金で最低限の生活が出来るのだ。雑誌には広告なんかなく、内容もしっかりしている。印刷もいい仕上がり。これはお買い得だし、何よりも自分が払ったお金の行き先をちゃんと自分で把握できるところがいい。エライNPOなんかに寄付しても冷房が効いた事務所経費や終身雇用的人件費に消えてしまうお金がほとんどであることを考えれば、抜群に効率のいい人道支援のやり方である。ホームレスの人たちも物乞いや説教臭いことを聞かされる代償としてお金を貰うのではなく自分でちゃんとお金を稼いだという満足感を感じることが出来る。

国際協力の在り方も、基本的にはこういった考え方をもっと取り入れるべきである。現在のやり方はあまりに官僚的で「慈善的」。協力組織のエライ人たちに仕事を与えること(メシの種を提供すること)に偏りすぎてはいないか。古来から、貧しい地域を豊かにして富の平準化をもたらすものは「商業」であった。アフガニスタンの貧しい人たちもインドとか中国とかのグローバル交易が実現できれば一挙に豊かになる。タリバンもお呼びじゃなくなるのだ。

こういう民間ベースの交易が実現できない理由はなにか。商売を取り巻くリスクがあまりにも高すぎるからである。その意味で国際的規模の「貿易保険」制度の充実が、何にも増して最貧国の所得水準のかさ上げと国際平和に貢献する。あまりにも当たり前の事実であるが、同時にあまりにも無視されてきた現実である。今夜の「クローズアップ現代」は、とても立派なゲストを呼んでの国際協力問題がテーマであったが、国際協力を組織的・官僚的な仕事として捉え、自己満足の手段としていては、なにも前に進まないのである。

閑話休題。The Big Issue に浜矩子が寄稿していた。彼女は怖そうなので好きじゃないのだが、こういう雑誌に(ほとんど報酬なしで)寄稿しているとは知らなかった。見直した。

7/8 Today 吉行エイスケが死ぬ(1940)

吉行エイスケ - Wikipedia: "吉行エイスケ(よしゆきエイスケ、本名:栄助、1906年5月10日 - 1940年7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。1933年には断筆し、1940年に狭心症のため急死した。34歳の若さだった。

死後の本棚には、文学関連の書籍はただの2冊しかなく、残りは全て株に関するものであった。急死する頃には、身上をほとんど食いつぶし生活資金は妻に頼っており、家屋敷は二重に抵当に入っていたように、株式には才覚がなかった。

美容師の吉行あぐりは妻。小説家の吉行淳之介は長男。女優の吉行和子は長女。詩人の吉行理恵は次女。"
オヤジはいい加減で才能もなく、どうしようもなかったが、奥さんと息子と娘たちはとてもエライ人たちだったという、よくある話。

特に奥さまの吉行あぐりさんは、100歳を超えてまだご健在だとのこと。最近まで市ヶ谷駅前の横浜銀行ビルの一階で美容室をやっておられた。吉行淳之介は父親似か(写真を見ても似ている)早く死んでしまったが、吉行和子は年季の入った演技で大活躍中。オンナのほうがオトコより長持ちするようだ。

2009年7月7日火曜日

7/7 Today コナン・ドイルが死ぬ(1930)

アーサー・コナン・ドイル - Wikipedia: "アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle KBE、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。"
コナン・ドイルは、晩年心霊術に凝ったりしてかっこ悪かったが、シャーロック・ホームズを生み出したということだけで歴史に残る偉大な作家となった。写真は「踊る人形」の挿絵。

このサイトで、シャーロック・ホームズが全部、挿絵付きで読める:

Camden House: The Complete Sherlock Holmes (Main)

2009年7月6日月曜日

日経ビジネス:農協直販所では人為的に販売価格をつり上げている!……これって独占禁止法違反じゃないか?

この農協の直販所では市場価格の2〜3割アップで強引に商品を販売しているという:
割高でも客の絶えない農産物直売所:日経ビジネスオンライン: "高い価格の維持と品質の良い農産物の供給──。この2つを両立させているのが、みずほの村市場を運営する農業法人のみずほが設けた独自のルールだ。

そのルールとは、「後から参入する農家は、先に参入していた農家と同じか、それ以上の価格をつけなければならない」というものだ。

例えば、ダイコンを最初の参入者が1キログラム100円で売っていたとしよう。次に参入する人は100円以上の価格を、3番目の参入者は2番目の人以上の価格をつけなければならない。"
市場参加者の値決めを拘束しているという意味で、明らかに公正取引法に違反している。その結果、消費者は余分のお金を農協にぶったくられている。でも公正取引委員会と検察は動けない。なぜか?

農協は「協同組合」だから独占禁止法の規制の対象外となるからである。だからあいつらはやりたい放題なのだ。農協の全国組織はニッポンの食糧供給において圧倒的な占有力を持っていることを考えると、協同組合なら独禁法の規制を受けないという現行法は、時代遅れというしか言いようがない。

可哀想なのは都市住民。なけなしの蓄えを生涯に渡って農協にむしり取られることになる。

7/6 Today モーパッサンが死ぬ(1893)

ギ・ド・モーパッサン - Wikipedia: "ギ・ド・モーパッサン(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant)、1850年8月5日 - 1893年7月6日)は、フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期の日本の作家にも、影響を与えた。"
永井荷風も、パリに到着するや否や、モンソー公園のモーパッサン像(写真)に「参拝」している。荷風の短編にはモーパッサンの影響とみられる作品が多い(「勲章」「買い出し」など)。社会に対するシニカルな見方に共通するものがあった。

彼の生活:
1883年、33歳のときの『女の一生』は、レフ・トルストイにも評価され、3万部を売り上げた。エトルタに別荘を構えた。1885年、南仏アンティーブに別荘を買った。1886年、ヨットを持った。活発な執筆出版活動のかたわら、旅を重ねた。海浜に育って、水の遊びを好いた。婦人との交友はあったが、結婚はしなかった。目はますます悪くなった。

1888年、38歳、不眠が募った。変人ぶりが目立ってきた。1889年、麻酔薬を乱用した。この年のパリ万博に建ったエッフェル塔を嫌い、眺めずに済むからと、塔のレストランで食事した。1891年、発狂が疑えなくなった。1892年、自殺未遂を起こし、パリ16区パッシー(Passy)の精神病院に収容された。

1893年、43歳、その病院で没し、モンパルナス墓地に葬られた。

モーパッサンもヨットを持っていたのだ。当時からヨーロッパではちょっと余裕が出来ると海辺に別荘とヨットを持つ人が多かった。日本の海岸線は世界でも有数の長さがあるのに(世界5位?)、いまだにセーリングは少数派の遊び。最近は若者離れがひどくますます高齢化が進んでいる。バラマキ公共事業のおかげで日本の海岸線はコンクリート堤防と岸壁ばかりになってしまったからである。

そのコンクリートだらけの日本で、一番「自然」が残っているのは、海の上。だれからも干渉されない。セーリングはもっと見直されてもいいんじゃないか。おいらのセーリングブログはここ。面白いよ。

2009年7月5日日曜日

Le Monde : 「エコロジーなんて、糞喰らえ!」

Merde à l'écologie ! - Opinions - Le Monde.fr
これはとても共感を覚える記事。エコロ真っ盛りのニッポンは、50年遅れているんじゃないか。エコロは、十字軍と同じでまったく狂信的な宗教理念だ。それに疑問を投げかけると、それだけで怒り出す。複雑な問題に単純極まりない解決方法を提示し、その解決方法に異論を唱えるものは軒並み火炙りにしようとする。異論を全く受け入れないのだ。ナチとかイタリアファシズムも全く同じだった。「スローフード」とやらは近代文明に劣等感を抱くファシストがつくり出した運動であったことが興味深い。ニッポンのエコロも、しょせんファシストか。

農村既得権益集団に利用されてしまったおかげで、ニッポンのエコロとやらは「内向きナショナリズム」の一つの表現形態に過ぎないものに堕落している。嘆かわしいことである。

残っているうちに記事全文をコピーしておく:

Merde à l'écologie !
LE MONDE | 04.07.09 | 14h18 • Mis à jour le 04.07.09 | 14h18

Jsqu'à maintenant, il faut bien le reconnaître, l'écologie, je m'en foutais complètement. La fonte des glaces, les oursons qui se noient, la couche d'ozone poinçonnée de partout, l'avenir de mes petits-enfants irradiés et la nourriture pesticidée... Sincèrement, je dormais bien avec.

J'avais bien essayé de prendre conscience de ma responsabilité d'être humain, mais en réalité, ma responsabilité d'être humain, j'avais plutôt envie de lui dire d'aller se faire fondre, comme sa soeur, la banquise.

Tout cela ne faisait de mal à personne, puis l'écologie nouvelle est arrivée, pas celle des marguerites et du foin, l'écologie majuscule, la sérieuse, la consciente de..., la responsable de..., celle qui pèse en politique, celle sans qui l'apocalypse serait pour demain matin.

Je suis resté sur mes positions, je me suis rapproché des zones industrielles, j'ai mangé du maïs muté, j'ai aérosolé ma maison, mais j'ai bien senti que je n'étais plus aussi libre de mon inconséquence, l'écologie, on avait plus le droit de s'en foutre. On a d'ailleurs plus droit de se foutre de rien.

Pourquoi ? Parce que la morale.

Pris entre les mâchoires du bien et du mal, le destin de l'inconséquent est d'être mastiqué. L'écologie l'a bien compris, la morale est une arme de construction massive. Après des années de présence virtuelle, et prenant exemple sur de glorieuses réussites antiques, elle se désigne désormais comme l'incarnation du bien commun (le bien commun se définissant comme le bien que l'individu ressent mal). Incarner le bien commun impose des concessions à la tolérance et un détour obligatoire par les chemins de la culpabilité.

Morale et culpabilité partagent siamoisement leur espace.

Le culpabilisateur laïque est la grande figure du monde contemporain. Par un étrange glissement, l'intolérance a quitté sa soutane. Après des siècles de dévalorisation orchestrée par saint Augustin et ses disciples, autour du péché originel qui fit de nous des êtres de faute, nous révélant que le geste le plus anodin, comme croquer une golden dans un jardin, pouvait entraîner une catastrophe collective éternelle, la culpabilité est sortie des églises.

Le monde laïque, qui depuis la révolution a forgé son identité dans la lutte contre le satan religieux, a récupéré son arme la plus nocive. La faute individuelle engage le reste du monde.

Observons l'évolution de la lutte antitabac. Quel a été l'argument fondamental qui a réglé le destin de nos frères fumeurs martyrisés ? Le tabagisme passif. Le fumeur tue. L'homme au clopeau constitue un danger pour autrui, passant passif inhalateur de volutes. C'est la révélation de la responsabilité collective du futur cancéreux qui a eu la peau de son filtre.

L'écologie applique le même système de culpabilisation de l'individu que l'on retrouve partout dans notre société, une vraie pandémie d'hyper-responsabilisation qui écrase l'homme aspirant à l'humilité de n'être toxique que pour lui-même.

On le sait, la morale est l'impôt perçu par la collectivité sur la liberté de l'individu. Lorsqu'elle nous force à respecter les Dix Commandements, ça va. Je ne suis pas pour le massacre de mon prochain et le respect du père et de la mère me paraît recevable, depuis que j'ai des enfants. Mais Dieu a-t-il écrit sur les tables de l'Arche d'alliance "Tu ne pollueras point ta planète" ? Non. Donc, pas de zèle.

La laïcité se fondamentalise, autour de thèmes qui sont devenus aussi sacrés que les reliques rapportées des croisades : la nature, la santé... Elle a ses adorateurs, elle a ses hérétiques. Son bras séculier s'abat lourdement sur le quotidien de ceux qui n'aspirent qu'à respirer un air qu'elle n'aura pas purifié. Elle a trouvé dans l'écologie son armée d'inquisiteurs, pas plus rassurants que les premiers.

Les avez-vous bien regardés, ces protecteurs de notre avenir qui prolifèrent autour de nous comme des mousses, ces flics sans uniforme qui radarisent notre liberté ?

Ils pensent que le quidam est aussi dangereux qu'une usine nucléaire. C'est sur lui que tous les efforts doivent porter par une rééducation purifiante. Ce ne sont pas seulement des soixante-huitenaires prêcheurs, mais des jeunes gens concernés, énergiques, des bons petits qui pour nous sauver sont prêts à nous pourrir la vie avec une motivation éternellement renouvelée. Ils ne font pas peur, ils sont séduisants pour la plupart, rarement gros, rarement barbus, rarement de droite. Ce sont des braves gens.

Ils ont presque toutes les qualités, il leur en manque une, toujours, l'humour. Un écologiste avec humour intégré n'en est pas un. Le sourire trahit le transfuge. L'écologiste drôle s'occupe de son propre développement durable et pas de celui de la planète. Voir les dernières élections européennes.

Moi, ils m'attristent ces concernés par le futur. Ils croient dur comme fer que la pollution est leur ennemie. Verts de trouille, les écolos, et engagés à coeur battant pour la protection de la nature. Comme si nous la menacions, la nature. J'ai lu qu'à Tchernobyl, poussaient des champignons noirs qui transformaient les radiations en substance organique, qu'une requine blanche, dans un zoo, célibataire depuis trois ans avait accouché d'un bébé requin sans père.

Un clone spontané. La faible nature. La fragile, qui nous a attendus cinq milliards d'années pour rendre son dernier soupir. Elle doit bien rire de notre minuscule toxicité, la vieille infectée, immunisée à mort, par ses anticorps anti-humains.

J'ai toujours pensé que c'était la nature qui nous polluait, pas l'inverse. Elle aura notre peau, l'ingénue. D'ailleurs, elle a commencé, la pollution la plus menaçante pour l'atmosphère terrestre est la plus naturelle de toutes, les flatulences méthanisées de nos soeurs bovines.

Voilà. En tant que citoyen irresponsable, je sais que mon avenir est sans lendemain. Coupable de sérénité. J'inhale à plein poumon les gaz de ma planète. Au bout du compte, il se pourrait que l'air pollué soit le dernier air respirable.

Ecrivain, médecin spécialisé en neurologie et licencié d'histoire à la Sorbonne, est l'auteur de deux romans aux éditions Grasset : "Blouse" (2004), "La Grande Garde" (2007), et d'un essai aux éditions du Regard "Maître Eckhart peint par Van Eyck". Il a publié en 2008 "L'Ami de jeunesse", roman qui met en scène la renaissance à la vie d'un psychiatre prénommé Antoine

Antoine Senanque


最近内田樹が同じようなことを書いていた。これ:

エネルギー政策について (内田樹の研究室): "環境問題は女子学生の好む主題であるが、私はあまり好まない。

理由の一つは「複雑な問題に対して単純なソリューションを対置する」態度が広く採用されているからであり、理由の第二はそう指摘するとすぐに怒り出す人が広く分布しているからである。

そういう種類の人間がダマになっている論件に近づいても、あまりいいことがないので、敬して近づかないのである。"

近づかなくていいものに敢えて近づくから、おいらみたいな人間はたいへんな目にあってしまうのである。でも、敢えて言う人がいないと、ニッポンはますますダメになってしまうから、云わざるを得ない。

7/5 Today ビキニ水着の発表(1946)

ビキニ (水着) - Wikipedia: "1946年にフランスのルイ・レアール(Louis Reard、「ルイ・リード」「ルイ・レアード」とも)が考案。レアールは自動車エンジニアだったが、母親が下着会社を経営しており、その手伝いをしているときにビキニを考案した。

1946年マーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験が行われた。その報道の直後の1946年7月5日にレアールがその大胆さが周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ、ビキニと命名してこの水着を発表したと言われる。"

写真はローマ時代のビキニ水着。フランス人に先駆けること実に1500年。ローマ人は進んでいたのである。

2009年7月4日土曜日

7/4 Today アストル・ピアソラが死ぬ(1992)

アストル・ピアソラ - Wikipedia: "アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla, 1921年3月11日 - 1992年7月4日)はアルゼンチンの作曲家、バンドネオン演奏家。タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合させた独自の演奏形態を産み出した。"
タンゴもボサノバもすっかり陳腐化してしまいニッポン以外ではすっかり落ち目だが、ピアソラはタンゴに新しい風を吹き込んだ。

Youtube から一曲:



最近の日本では、やたらに「伝統芸能」がもてはやされているが(「故郷町おこし」と関係があるらしい)、あまり「伝統」とやらにとらわれていては文化はさらに退嬰するように思う。

2009年7月3日金曜日

株式リターンの要因分解

昨日の日経「経済教室」でインポットソン・アソシエイツ・ジャパン社長の山口勝業氏が興味深い分析を披露されている。この数字には説得力がある。

論より証拠:



過去25年間、株式についての従来の常識は完全に崩壊してしまったのである。それなのにいまだに従来の神話で物事を語る人が多いのが問題だな。

7/3 Today アンドレ・シトロエンが死ぬ(1935)

アンドレ・シトロエン - Wikipedia: "アンドレ=ギュスターヴ・シトロエン(André-Gustave Citroën, 1878年2月5日 - 1935年7月3日)は、オランダ系フランス人の実業家。フランスの自動車会社、シトロエンの創業者である。第一次世界大戦中は砲弾をはじめとする武器を流れ作業方式で大量生産したことで成功、その利益で1919年にシトロエン自動車会社を設立する。同社は大衆車の大量生産で急激に業績を伸ばし、1930年代の初期にはフランス第1位、世界第4位の自動車会社になるほどの成功を収めた。

しかし、シトロエン社は急激な事業拡張が祟って1934年に経営破綻に陥り、タイヤメーカーのミシュランの資本を受けることになる。経営から退いたアンドレ・シトロエンは、失意のうちに翌1935年、胃癌で死去した。57歳没。"


フランスの自動車メーカーは武器製造会社から転進したのが多い。骨董市で見つけた昔の砲弾の薬莢を花瓶と使っているがプジョーの刻印がある。プジョーはもともと胡椒ミルのメーカー(これはいまでも作っている)。すべてのものにはライフサイクルがあるのだ。流行すたりがあるし、残存者利益もある。

2009年7月2日木曜日

7/2 Today ヘミングウエイが死ぬ(1961)

アーネスト・ヘミングウェイ - Wikipedia: "アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway, 1899年7月21日 - 1961年7月2日)は、アメリカの小説家・詩人。『老人と海』などで知られる。行動派の作家で、スペイン内戦や第一次世界大戦にも積極的に関わり、その経験を元に行動的な主人公をおいた小説をものにした。『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』などはそうした経験の賜物。短編には簡潔文体の作品が多く、これらはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと後に続くハードボイルド文学の原点とされている。1954年、ノーベル文学賞を受賞。晩年は躁鬱に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていき、1961年、ライフルで自裁した。"

合掌。

『老人と海』で妙に気になるところがあった。老漁師は何日も飲まず食わずでカジキマグロと戦うのだが、船に食べ物がなかったわけではない。餌に使う生のカツオがあったのだ。でも老漁師は生ではカツオを食えない。無理して咀嚼すれば吐いてしまい体力を更に消耗するのが分かっているから食わない。「せめてレモンがあれば呑み込めるのだが……」と嘆くくだり。

いまやスシは世界に広がっている。でも魚の生食は広く一般的になったわけでもない。しょせん一部のスノブが嬉しがって食っているだけ。一般の人々の感覚はまだまだこの老漁師と同じようなもの。

日本のアニメ文化も同じ。いまはニッポンのアニメは世界に普遍的なものと、一部の現象だけを捉えてへんな自己満足をしていると、足を掬われることになる。

2009年7月1日水曜日

7/1 Today エリック・サティが死ぬ(1925)

エリック・サティ - Wikipedia: "エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Satie, Eric Alfred Leslie Satie, 1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称されるが、西洋音楽の伝統に大きな扉を開いた革新者とみなされている。

多くの西洋音楽史の進化は、その兆候が徐々にやってくるのに対し、サティがやり始めた数多くの革新は、過去の音楽や、他の民族音楽などの中に全くないものではなかったものの、その殆どが純粋に彼独自の自発的で突発的なアイデアに基づいたものであり、現代音楽の祖として評価は高い。ただ、あまりにもその実際の傾向が特異すぎたことと、複雑さを追求するような職人技よりもシンプルさを追求したものであったために、その真価が正統に広く理解されていない不遇な作曲家として旧来から惜しまれ続けている偉人であるが、数多くの作曲家たちがサティによる開眼を公言している。"

追悼のために You Tube から『ジムノペディ』第一番を: